機略戦記

Maneuver warfare

本を読んだ | 「歴史修正主義」武井 彩佳

Amazon.co.jp: 歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書, 2664) : 武井 彩佳: 本

ドイツ現代史の歴史研究者が書いたこの本を読んだ。 「歴史修正主義」の起源や、実証的な歴史研究の方法論、欧州における歴史修正主義に対する法規制などが知れて興味深かった。

大まかな内容

大きく分けて以下3つのテーマがある。

  1. 歴史修正主義の起源
  2. 実証的な歴史研究と歴史修正主義の違い
  3. 「歴史の司法化」

実証的な歴史研究と歴史修正主義の違い

個人的に一番おもしろかったのがこのテーマ。

実証的な歴史研究と歴史の書き直し

実証的な歴史研究では、可能な限り多くの史料を集め、それらの整合性を検証するプロセス ("史料批判") を通じて、信頼できる史料だけをもとに歴史を推測する。

しかし、必要な史料がすべて残っているわけでは無いため、映像・写真・考古学的発見・口頭での証言 (オーラル・ヒストリー)など様々な情報をもとに、不明な部分を研究者が推測でおぎなう。適当な推測では他との整合性が取れないため高い確度で推測が行えるというの実証的な歴史研究の考え方だそうだ。

言いかえると、実証的な歴史研究は史料にもとづいた歴史の推測なため、新たな史料が見つかれば当然のように歴史の捉え方も変わっていくものであり、歴史が書き直されることそれ自体が問題なわけではない。

「歴史修正主義」

一方で歴史修正主義は、政治信条に合わせて歴史を曲解する行為であり、自説に都合がいいように、史料を一部分だけチェリーピックしたり、曲解したりしてしまう。

  • 史料の整合性の検討(史料批判)を無視してしまうという方法論の問題
  • そして、自身の主張を裏付ける歴史観を主張したいという動機の問題

この2つが歴史修正主義に良く見られる傾向だという。

歴史の名を借りたヘイトスピーチ

また、さらに悪質なものとして歴史の形を借りてヘイトスピーチが行わている場合もある。これは史料のチェリーピックとかいうレベルではなく陰謀論のように合理性がない発言の場合もある。(欧米ではこれを「否定論」とよんで「歴史修正主義」ともさらに区別する場合があるそうだ。)

それぞれの差

そういう訳で、歴史を書き換えようとする試みは以下のように分けられると思う。

  1. 史料にもとづいた歴史研究の結果としての歴史の書き直し
  2. 史料を曲解し、自身の政治的主張を支援するための主張 ("歴史修正主義")
  3. 歴史の名を借りたヘイトスピーチ ("否定論")

1.と2.の差は、十分な史料批判を経ているのか? 歴史を書き換える動機が自身の政治信条の支援ではないのか? といった点であり、差はグラデーション状だというのがこの本の主張だった。

「歴史の司法化」

さて、実証的な歴史研究と歴史修正主義の境目はグラデーションであるという議論を前提に展開されるが、「歴史の司法化」についての説明である。

歴史修正主義に対する法規制

この本を読むまで知らなかったが、欧州には特定の歴史修正主義的な主張を禁止する法律がある。

  • ドイツ「民衆煽動罪」...「ホロコーストの否定」を禁止。
  • フランス「ゲソ法」...ニュルンベルク裁判で人道に対する罪とされた事柄の否定や矮小化を禁止
  • EU「人種差別および排外主義の克服に関するEU枠組み決定」EU加盟各国にジェノサイドの容認、否定、矮小化などの規制を求めている。

歴史修正主義がヘイトスピーチに転嫁する場合があるため、人々を保護するためにこれらの法律が制定された。

法規制の負の側面

一方で、法規制には負の側面もある。前提としてホロコースト否定の禁止として始まった法規制だがその地域や範囲は拡大してきた。

  • 2006年ウクライナ .... 1930年代に発生した大飢饉「ホロドモール」の否定を禁止。
  • 2014年ロシア ... 「ナチズム復活禁止法」により一部の言論を規制。
  • 2017年フランス ... アルメニア人虐殺をはじめとして様々なジェノサイドや戦争犯罪の否定・矮小化の禁止。
  • 2018年ポーランド ... ポーランド人がホロコーストに加担したという表現を違法化。→ 国際的な批判をうけ修正。

このような流れは、国家による歴史観の統制に繋がりうるし、実際にポーランドやロシアの法規制では自国の名誉を守ることに重きが置かれている。というのが筆者の見解だった。

さきほどの「実証的な歴史研究と歴史修正主義の境目はグラデーション」という点を踏まえると、法規制には「ヘイトスピートから人々を保護する」のと「規制により言論を萎縮させない」という極めて難しいバランスが必要になる。

感想

というわけで非常に面白い本だった。この記事では紹介しなかったが歴史修正主義の起源や、歴史修正主義と学術論争のグラデーションの非常に微妙な場所に位置するといえる「歴史家論争」事件などもおもしろかった。

歴史修正主義の法規制については、非常に難しい問題でどうしたら良いのかさっぱり想像が付かないですねとは思ったが「自分だったらどんな制度の元で暮らしたいか?」という視点で考えると、以下のような社会はどちらも嫌だなと思った。

  • ヘイトスピーチが野放しにされている社会
  • 国家により歴史観が統制されている社会

この微妙な問題に対して、社内のなかで様々な議論が起きていて、グラデーションのどこで線を引くのかたびたび見直されるような社会 で暮らせると良さそうだなと思った。