機略戦記

Maneuver warfare

本を読んだ |「ものづくり」の科学史 世界を変えた標準革命

「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》 (講談社学術文庫) | 橋本 毅彦 |本 | 通販 | Amazon

現代的な工業製品にかかせない「互換性」の起源と発展について深く掘り下げた本。

自分は「普段は意識されないが実は社会をささえている物」に強く関心があるが、そんな自分にぴったりの一冊だった。

また、誕生当初には経済的合理性が無かった「互換性部品」がどのような経緯で広まっていったのか、イノベーションが普及していく過程の事例としても読めると思う。

大まかな内容

この本の中で自分が注目したのは、「互換性」の概念が誕生して、広まっていき、そしてT型フォードの「流れ作業」へと繋がっていく一連の歴史についての解説。

互換性がない世界とは

現代では互換性があまりにも当然の存在となっているので、そもそも互換性がない世界を想像するのが難しい。

19世紀後半、ジェームズ・ワットの蒸気機関の説明書には「ピストンとシリンダーがうまく滑り合うように、ヤスリなどで削って調整するように」と指示があったそうだ。同じ製品であっても1つ1つの部品の大きさや形に個体差があり、上手く噛み合うようにヤスリによる調整が必要だった。あらゆる工業製品がそういう状態だった。

結果、1つ1つの製品に噛み合わせの調整が必要になるため分業は難しいし、生産には手間と時間がかかる。そしてどこかの部品が故障した場合は補修部品とオリジナルの部品の間で再びすり合わせが必要になるため修理も難しかった。

互換性があるとはどういう状態なのか?

例えば、同型のマスケット銃を2丁もってきて、その発火装置を入れ替えても正常に取り付けられ、発砲できるように十分にサイズと形がそろった部品が「互換性がある部品」(互換性部品)ということだ。

互換性の誕生

では互換性はどう誕生したのか? 1720年頃にフランスの技術者オノレ・ブランが、マスケット銃の発火装置に互換性をもたせる提案を軍に行った。この提案は製造コストが高すぎて軍に採用されなかったが、これが互換性部品の一つの起源となる。

その後も、互換性をもった製品の開発が軍事の領域で試みられるが、コストの高さや、これまでの職人的な働き方と異なる労働が必要になることへの抵抗感などにより、フランスでは互換性部品はなかなか普及しなかった。

その後、互換性部品はコスト以外の面で注目される。この時代のヨーロッパの戦争では、要塞と塹壕を中心にした移動の少ない戦闘が多かったが、1761年頃にプロイセンのフリードリヒII世があみだした戦術により戦場の様相が変わった。この戦術では部隊を頻繁に移動させ敵の弱点を突く。この機動的な戦術はプロイセン以外にも広まっていくが、これに適した大砲は砲車への負担が大きく頻繁な修理が必要だった。これに互換性部品が適していた。

このような理由からフランスでは一時は互換性部品が製造されるが、最終的には定着せずに互換性部品の製造は一度終わってしまう。しかし、「互換性部品による統一的な体系をもった兵器」というコンセプトはフランスを視察していたアメリカ人政治家トマス・ジェファーソンにより、アメリカに伝えられ、1830年代にはアメリカのスプリングフィールド兵器廠で互換性をもったマスケット銃の生産が本格化する。

流れ作業と大量生産へ

アメリカの工廠(兵器を製造する国営の工場)で広まった互換性部品と分業のコンセプトは、ミシンや自転車などの民生品の生産にも応用され、最終的には1910年にはフォード社がT型フォードの生産において「流れ作業」による大量生産を生み出す。

(この本を読むまで気づかなかったが)部品に互換性がなく1台ずつすり合わせを行っていたのではとても流れ作業で組み立てることはできない。流れ作業の前提には互換性というコンセプトの実現があったのだ。

こうして「互換性」は現代的な工業生産に欠かせない要素となった。

感想

「普段は意識されないが実は社会をささえている物」について知れるという点は冒頭に書いた通り。 その他に以下の感想を持った。

工業化のソフト面での進化が知れて面白い

なんか産業革命や工業化と聞くと、蒸気機関や内燃機関(エンジン)などの動力の技術革新がすぐ思い浮かぶが、「互換性」「流れ作業」などのコンセプト・プロセス・働き方の革命という面もあるんだなと理解できた。「互換性」の歴史を追うことで、これらソフト面の進化が総合的に知れるので、本書のテーマは非常に素晴らしいなと思った。

経済的合理性以外の理由で普及した破壊的イノベーション

互換性部品の誕生当初は高コストで経済的合理性がないが、分業や流れ作業と組み合わせることで最終的には工業製品の圧倒的な低コスト化という経済的合理性を達成している。

互換性部品は破壊的イノベーションにあたる技術だと思うが、これが普及したきっかけに「部品の修理が迅速におこなえる」という軍事的合理性があった点に興味を惹かれた。経済的合理性という価値基準だけで判断すると投資が難しいことでも、軍事的合理性という別の価値基準で投資が正当化され発展していき、最終的には経済的合理性をも実現していったというのはとても興味深い。

うまく言葉にできないが、GPUの技術開発がLLMの登場を可能にしたという事実からも似たパターンを感じる。初期のコンピューターが開発された目的の一つに米国の国政調査を効率化する役割があったと聞く。そして、その後、給与計算などにも活用されていった。こうした「事務処理を効率化する装置」としてのコンピューターに「3Dグラフィックス(特にゲーム)で人々を楽しませる」という別な用途が加わってGPUの技術開発が行われ、それが最終的にLLMの登場を可能にし、事務処理をより高い次元で効率化できるようになった。という流れとダブって見える。仮に技術開発への投資が常に「事務処理を効率化する」という観点だけで行われてきたらこのような非連続な発展は難しかったんじゃないだろうか。

様々な用途に使える技術は、ある用途でキャズムを超えられなくても別の用途でキャズムを超えて進化し続けられる。みたいな現象ってあるんじゃないかなと思った。